2022年5月1日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」
第18回 映画語りについて

第18回 映画語りについて

映画を観るのも好きだけど、映画語りを聴くのも好きだ。YouTubeやPodcastにあるレビュー動画や音声を、作業中よく聴いている。ネタバレはそれほど気にしないが、影響されやすいので映画を観る前にその作品の語りはなるべく聴かない。観た後でも、自分にとって大切な作品だった場合は、あまり語りを聴く気が起きない。感想が上書きされそうで怖いからだ。ある程度時間を置いて、作品に対する自分の感情や解釈が体の一部になるくらい固まってから聴くようにしている。好きでも嫌いでもない映画をぼんやり観た後、その作品に熱を持っている人の解説を聴くのがオススメだ。作品の解像度がグングン上がっていく感覚が心地良い。結果どうでもいい映画が、好きになったり嫌いになったりする。
先日『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』をぼんやりと観た。大満足のエンタメ作品だった。最近のMCUには全然思い入れがないから、早速ネットに数多あるレビューを聴いてみる。うなずかされる語り、ピンとこない語り、色々ある。並行世界から来たヴィランに対して「悪を治療する」展開は悪を単純化していてよくない、みたいな批判を聴き、なるほどと思う。そう言われると、観ている間モヤモヤしていた気がしてくるから不思議だ。続けて肯定的な語りを聴く。マルチバースという設定を使って過去のスパイダーマン作品を救う構造を絶賛していた。自分も同意見だったが、細かく言語化されるとスッキリする。やはり良い映画だ。とはいえ批判意見の説得力もあり、自分の中ではそこそこ良かったに落ち着いた。落ち着ける必要は特にないのだけど。この一連のムーブは投票行動によく似ている。他人の意見を参考に作品をジャッジして、賛否の「賛」に一票入れたのだ。そして同時に、作品語り自体もジャッジしている。面白い映画語りはチャンネル登録するし、そうでないものは二度と聴かない。
SNSでの行動が投票に似てしまうのは、いいねや再生回数、チャンネル登録、あらゆる評価が得票数のように数値化されるせいだろう。SNSの外でも同じだ。単行本を出せば、アマゾンのレビュー数や星の数、ランキング順位、読書メーターの登録数、諸々生々しく数値化される。作者は「清き一票を!」と宣伝ツイートをしまくり、反応やリツイート数を見て一喜一憂する。評価する側も、言及した時点で映画語りチャンネルと同じくジャッジされる。肯定派と否定派の争いに巻き込まれ、言葉を誤れば最悪炎上しかねない。誰も安全圏にいないのだ。
このコラムも、ある意味映画語りだ。次回も読むかどうか、毎回ジャッジされる。ただ漫画連載ほど緊張感はない。本業じゃないという言い訳が用意されているし、自分語りへの照れもあってひっそりやっているからだろう。なぜかずっと続いている。

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