2021年11月1日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」
第12回 フラッテリー・ママ

第12回「フラッテリー・ママ」

『グーニーズ』を観ると、小学校の同級生T君の母親を思い出す。
T君の家は金持ちだった。というか、金持ちの雰囲気をまとっていた。ビックリマンチョコを箱買いして周りにチョコを配ったり、家にトイレがふたつあったり、父親はPTAの会長をしていたり、当時の僕からしたら有力者の家庭に思えた。T君の母親は、顔がフラッテリーママに似ていた。『グーニーズ』に登場するギャング団の凶悪な女ボスだ。僕の記憶の中のT母はフラッテリーママに置き換えられていて、常に黒いベレー帽を被り、黒い服で真珠のネックレスをしている。
ある夏の日、友達数人とT宅で遊んでいるとT母が「ソフトクリームの安売りやってるから行こう」とみんなを連れ出した。アイスクリーム屋まで車で20分位かかる。僕は気が乗らなかったが、渋々車に乗り込んだ。店に着くと、T母はソフトクリームを子供の人数分プラス1個注文した。家で留守番しているTの弟の分らしい。包装用のフタやケースはない。夏に剥き身のソフトクリームを素手で持ち帰るとか絶対溶けるだろと思っていると、なぜか僕にふたつ手渡された。「みんなで交代しながら持って」とT母。嫌な予感がした。車中、各々ソフトクリーム食べる。僕も、左手に注意を払いつつ、右手の分を平らげた。皆満足し、アイスの話題はそこで終了した。左手にひとつ残された忌々しいソフトクリームが、日差しと掌の体温で少しずつ溶けていく。予想通り、誰も交代してくれない。車に揺られながらソフトが崩れないように気を配る。なぜか冷房は入れず、窓全開だった。風がクリームに直撃する。「溶けてるんですけど」運転席のT母に訴えかけるも、そのまま持っててと軽くあしらわれた。交代の指示もなかった。助手席のT君も、こちらを全く気にかけてくれない。彼らが何を考えているのかわからなかった。ベトベトになっていく左手を、僕は無言で見つめていた。友人達は災難だったなと言わんばかりにニヤついていた。クリームの半分くらいがフロアマットに溶け落ちる。右手に持ち替えることもままならなかった。こんな残骸、土産にしたところで食べるわけがない。廃棄確定の食べ物を大事に保持しているのが惨めに思えた。屈辱的だった。僕は白いドロドロの一部をわざとシートにも垂らした。T君とT母は、僕の存在を忘れたように変わらず気にしない様子だ。人間としてないがしろにされている。邪悪なファミリーに見えた。フラッテリー一家だ。行きよりもずっと長く、居心地の悪い時間だった。T宅に着き、玄関で出迎えたT弟にかつてソフトクリームだったものを差し出す。それは当然突き返され、ゴミとなって終わった。T母からのねぎらいの言葉は、最後までなかった。
自分の中ではかなり嫌な思い出なのだけど、書き出してみると全然大した話じゃない。だが小学生の僕は子供心に傷つき、憤り、T母に殺意すら覚えたのだ。今になって考えると、おそらく裕福そうに見えるT家に対して前々から無意識の内に劣等感を抱いていたのだろう。そのモヤモヤが、彼らからぞんざいに扱われることで怒りとなって表出したのだ。T母は、ガサツでうっかり者なだけで、もちろん邪悪ではない。更に言うと、フラッテリーママのイメージは僕の歪んだ心が見せた虚像で、現実には似ても似つかなかった可能性すらある。そもそもT家は大して金持ちでもなかっただろう。しかし殺人事件は、こんな動機で起こったりもするのだ。何もしなくてよかった。
というわけで『グーニーズ』を観ると、僕はT君の母親を思い出してしまう。

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