2021年7月1日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」
第8回 前夜

第8回「前夜」

僕がまだ10代の時、新世紀エヴァンゲリオンが社会現象になった。旧劇場版の衝撃的ラストは、多感な時期にあった自分の深くやわらかいところに突き刺さり、以降僕はいわゆるエヴァの呪いを抱えながら二十数年間を生きていくことになる。我々の世代ではよくある話だ。
昔話は置いといて、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の話だ。エヴァ新劇場版は公開延期を繰り返しがちなシリーズで、完結作シン・エヴァは、最初に発表された予定からなんだかんだで13年近く遅れている。前作は、9年前に公開された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』。不可解かつ悪夢のような内容で、続きがまったく想像できない終わり方をしていた。次作で物語を閉じることは到底不可能に思えた。はっきり言って人知を超えている。エヴァの完結を思うのは、ほとんど死後の世界を想像する行為に近い。宇宙の果てに想いを馳せる行為に近い。それは祈りにも似た感情を伴い、宗教を持たない自分にとって「信仰とはこういう感じなのか」などと考えさせられたりもした。
『ゴドーを待ちながら』という戯曲作品がある。タイトル通りゴドーと呼ばれる人物を待ち続ける話なのだが、最後までゴドーは現れない。ゴドーはgod(神)を意味している説もあるが、作中では明言されない。エヴァ完結を待ち続けているうちに、いつの間にかシン・エヴァは僕の中でゴドーになっていた。永遠に現れない神のごとき存在で、待つことは生活の一部だ。もちろん毎日エヴァについて考えているわけではない。エヴァなんてくだらない、昔の流行りものだ、そう思っていた時期もあった。もっと言えば、忘れていた時間の方がずっと長い。だが普段意識していないだけで、「エヴァは完結するが今日ではない」という日が永久に繰り返される世界を自分は生きてきたのだ。
シン・エヴァ公開が現実味を帯びていき、そんな世界観は揺さぶられた。2021年2月26日夜、緊急事態宣言を受けて再延期となっていたシン・エヴァの公開日が3月8日だと発表される。10日後だという。突然すぎて現実感がわかない。月曜の平日だ。その日、目の前に神が現れ、僕は死後の世界へ行き、宇宙の果てを見る。いきなりそんなこと言われても受け止めきれない。ふわふわした気持ちのまま数日を過ごし、初日のチケットをなんとか予約した。
前日の夜になり、ベッドの中で急に心臓がバクバクしてきた。朝早く起きないといけないのに眠れない。深夜0時。今この瞬間エヴァ公式が冒頭12分を無料公開しているはず。反応を見たくないからSNSのチェックはしない。暗闇でただじっとする。明日の今頃はエヴァの完結を目撃した自分になっている。以前の世界観は失われ、新たな世界観の中で生きている。まったく別の身体、別の心を持った自分に変化している。新しい僕が、同じベッドで横になるのだ。そして二度と元には戻らない。信じがたいが現実だ。期待より不安の方が大きかった。映画の内容は関係ない。僕は、いや世界はエヴァ完結という無限の可能性を喪失するのだ。さようなら、すべてのエヴァンゲリオン。夜がいつもより濃く感じた。「前夜」の二文字が、頭の中で強調される。前夜だ。今、自分は前夜にいる。ぎゅっと目を閉じ体を丸める。明日という衝撃に備えるように。
翌日、僕はエヴァの完結を見た。驚くべきことに本当に完結していたのだ。

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