2021年6月1日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」
第7回 ブレードランナー

第7回「ブレードランナー」

レンタルビデオだったか、テレビ放映だったか、『ブレードランナー』を初めて観たのは中学生の時だ。映画通がこぞって絶賛する名作なのに、僕は途中で寝てしまった。起きた時は、死にゆくロイが主人公デッカードに語りかける場面、つまりクライマックスだった。「 おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座近くで燃え上がる宇宙戦艦。タンホイザーゲートのそばで暗闇に瞬くCビーム。そんな思い出も時間と共にやがて消える、雨の中の涙のように。死ぬ時が来た」いわゆるCビームスピーチだ。戦闘用レプリカントとして生み出されたロイが語る、かつて目撃した宇宙の壮麗な詩的情景。この名ゼリフの最後部分、「そんな思い出も時間と共にやがて消える、雨の中の涙のように」は、今でも人生において印象的な風景に立ち会うたび、頭の中で反芻される。友達のいなかった専門学校時代、生徒達の溜まり場になっていた非常階段で一言も発言することなく見つめていた手元のマルボロライトメンソール。新人漫画家だった頃、二度と揃うことのないようなメンツで飲み明かし、フラフラの身体でラーメン屋を探して歩き回った明け方の新宿歌舞伎町。初めて海外旅行した時、トランジットで長時間待たされたソウル空港の休憩スペースで読んでいたパラニューク『サバイバー』の文庫本。自分しか客のいない高円寺の薄暗いサウナで見続けた、東京五輪開催を決定したIOC総会の中継映像。そんな思い出も時間と共にやがて消える、雨の中の涙のように。
思い出を成立させるために貼るインデックスのようなものだ。それぞれのシーンを思い起こすたび、記憶の中でディティールは補強されていく。想像力を駆使して、思い出の推敲が繰り返されていく。ほとんど歴史修正に近い。やがて消える思い出が、やがて消えるが故に形を整え完璧なものにしておきたい、そんな欲望があるのかもしれない。人知れずひっそりと愛でるために。人生も折り返しを過ぎると、そんな浅ましい作業が趣味のひとつとして定着してしまう。
Cビームスピーチを確認しようと『ブレードランナー』のDVDを観直した。そのバージョンのDVDでは翻訳字幕に「 Cビーム」なんて単語は出てこなかった。代わりに「オーロラ」になっている。もしかしたら最初に観た時もそうだったのかもしれない。こんな長文のセリフ、一度観ただけでは覚えられない。後から本や雑誌や、今だったらネットで確認し、正しいセリフと記憶の中の映像を合成して覚えるのだ。ちなみに検索しても正しいとされているCビームスピーチの翻訳文はわからなかった。いずれにしても「オーロラ」よりも広く流通している「Cビーム」で記憶している。その方がこんな風に公の場で言及しやすい。これも思い出の推敲だろうか。
二月の寒い日の夕暮れ、駅前ヴェローチェの奥まった席で今この文章を書いている。新メニューのホットゆずかりんを飲んでいるが、メガマシュマロが乗ったキャラメルオーレにすればよかったと少し後悔している。後悔しながらメガマシュマロの画像を検索している。メガとかいうだけあって衝撃的なデカさだ。そんな思い出も時間と共にやがて消える、雨の中の涙のように。

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