2022年8月10日 [オリジナル4コマ]

柘植文の編集部かんさつ日記 第692話「どの動物?」

(次回は8月17日更新です)

2022年8月3日 [オリジナル4コマ]

柘植文の編集部かんさつ日記 第691話「若いパワー」

(次回は8月10日更新です)

2022年8月1日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」
第21回 天才児

第21回 天才児

子供の頃天才児に憧れていた。というか今でも憧れている。残念ながら天才でも児童でもないので、天才児の映画を観て満足している。天才児は周囲と馴染めず、孤立しがちだ。天才ゆえの孤独が描かれ、大抵は家族や理解ある大人に救われる。『ギフテッド』『ボビーフィッシャーを探して』『天才スピヴェット』、ネトフリのドラマ『クイーンズ・ギャンビット』。思い出せないが、天才児が出てくる映画は無数にある。元天才子役のジョディ・フォスターは、天才児の話『リトルマン・テイト』の監督をしていた。天才児が凡庸な大人になる話も切なくて好きだ。『マグノリア』には落ちぶれた元天才クイズ少年が出てくる。
僕が一番印象に残っている天才児は、実は映画ではない。二十年前に放送された公共広告機構のCMだ。こんな内容だった。小学校低学年くらいの教室。授業で画用紙に絵を描いている。周囲が普通にお絵描きしている中、ひとりの少年が画用紙全面を真っ黒に塗り潰している。塗り終わると別の紙を黒く塗りつぶす。教師や医者、たくさんの大人達が戸惑いながら見守る中、彼は何十枚も何百枚も画用紙を黒く塗り潰していく。最終的に、紙を並べると巨大な黒いクジラが現れ、大人達は少年が何をしたかったのか理解してCMは終わる。世界中で賞を獲った、歴史に残るCMだ。
僕はこのCMが、実のところあまり好きではない。子供が理解されて良かったみたいな筋書きだが、僕には大人が安心できて良かったと言っているように見えた。実はクジラでしたなんて、大人を安心させるためとしか思えない、あまりにもわかりやすいオチじゃないか。もし少年に完成のビジョンなどなく、ひたすら衝動に従って黒く塗り続けているだけだとしたら、どうなっていただろう。理解できない不気味な子供に大人達が不安を募らせるだけの映像、CMなど成立しない。果たしてそれはバッドエンドなのだろうか。バッドもグッドもないが、少年が純粋かつ崇高な表現者に見えたかもしれない。クジラが現れた瞬間、華麗な伏線回収を見るような理解の快楽が訪れ、作品がショーとして成立してしまった。黒塗りは、止められない魂の叫びではなく、完成を見据えた地道な作業だった。少年は苦悩する芸術家から、ドヤ顔のエンターテイナーに変わってしまったのだ。
ここまで書いておきながら、それも間違っているような気がしてきた。芸術など僕にはわからない。どちらのパターンでも天才児感は十分にある。好みの問題だ。僕はクジラを作らない少年に惹かれる。
クジラを描いた少年は、将来どうなったのだろう。多分こういうCMを作る仕事をしている。クジラを作らなかった少年が仮に存在していたとしたら、彼は将来どうなっていたのだろう。良くも悪くも想像が膨らむ。二十年経った今でも、時々思い出してそんなことを考えてしまう。

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