2022年3月30日 [オリジナル4コマ]

柘植文の編集部かんさつ日記 第674話「通じ合いました」

(次回は4月6日更新です)

2022年3月23日 [オリジナル4コマ]

柘植文の編集部かんさつ日記 第673話「心配」

(次回は3月30日更新です)

かんさつ日記第590話を読む

2022年3月16日 [オリジナル4コマ]

柘植文の編集部かんさつ日記 第672話「F塩さんの食生活については590話などをご覧ください」

(次回は3月23日更新です)

かんさつ日記第590話を読む

かんさつ日記第661話を読む

2022年3月9日 [オリジナル4コマ]

柘植文の編集部かんさつ日記 第671話「461,512,563,614話も併せてご覧ください」

(次回は3月16日更新です)

かんさつ日記第461話を読む

かんさつ日記第512話を読む

かんさつ日記第563話を読む

かんさつ日記第614話を読む

2022年3月2日 [オリジナル4コマ]

柘植文の編集部かんさつ日記 第670話「新オフィスは 4コマ編集部の隣が 近代麻雀編集部です」

(次回は3月9日更新です)

2022年3月1日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」
第16回 映画の感想を保留してしまう

第16回「映画の感想を保留してしまう」

映画館へは、ひとりで行くことが圧倒的に多い。客席を見渡すと一人客が少数派なのがいつも不思議だ。誰かと観ると、同行者が隣でちゃんと楽しめているかどうかが気になってしまい、映画に没入できない。それにエンドロール後、照明が点灯するや否や「最高だった!」あるいは「最悪だった」と素朴な感想を表明することがスムーズにできない。ほとんどの場合、賛否を決めかねた曖昧な表情のままロビーまで移動し、「前のカップルうるさかったよね・・・」みたいな会話をして終わってしまうのだ。別につまらなかったわけでもないし、相手に遠慮しているわけでもない。自分の中で結論がまだ出せず態度を保留している感じだ。
それで思い出したのだが、十数年前映画デートをした時の話だ。上映終了後、僕は珍しく興奮しながらベラベラと感想をまくし立て続け、マナーに反するがそのままエレベーターの中でも喋り続けていた。周りは同じ映画を観た観客同士でぎゅうぎゅうだった。「最後にフィリップ・シーモア・ホフマンが出てきたのが良かった!」僕は意気揚々とフィリップ・シーモア・ホフマンが起用された意図について語り、彼女は「へー」と相づちを打っていた。ところが帰宅後調べてみると、僕の勘違いでフィリップ・シーモア・ホフマンなんて全く出ていなかったのだ。あの時エレベーターにいた他の客がどう思ったか。想像するだけで震えが止まらなくなる。見間違えた役者が、よりによってフィリップ・シーモア・ホフマンというニワカ映画通が好きそうな役者名なのが、より一層痛々しい。以降僕は、上映終了直後は感想を保留するようになった気がする。
では映画の感想をいつ言うのか。自分の場合、編集との打ち合わせの場で雑談になった時、大抵映画の話をしている。最近だと『マリグナント』が超絶面白く、今一番語りたい映画だ。しかしネタバレせずに語れないタイプの作品なので、未鑑賞の相手に「良かったですよ」とぼんやり繰り返すくらいしかできていない。コロナ以降、対面で長丁場の打ち合わせをする機会が減り、映画の話をしたいように話すタイミングが、意外とない。
ちなみに、したいように話せない映画と言えば『ソウ』シリーズがある。普通に話していても、会話の中で「そうですね」「そう!」「そうじゃなくて」というフレーズが出るたび、「『ソウ』だけに?」みたいなダジャレが暗黙の内に成立してしまう。もちろん互いにいちいち指摘しないが、一瞬変な空気になってしまう。ノイズとして無視できないレベルで頻出するので、『ソウ』の話はしたくなくなってしまうのだ。

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