2009年7月16日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」第12回 20世紀少年

第12回「20世紀少年」

 この映画は、ある世代の大人達が、彼等の限定的な文化圏から見た「20世紀」に、けじめを付けようとする物語である。遠い過去に置き忘れてきた、私的な妄想。それが突然目の前に現れ、現実社会を巻き込んであたかも「20世紀」を総括するかように、世界を終わらせていく。「世界を終わらせる」というリアリティの無い言葉自体20世紀の遺物なのだが、大阪万博、アポロ11号、高度経済成長、ハットリくん、鉄人28号、平凡パンチ、そういった数々のキーワードが、古き良きとされた20世紀への決別を意図してるかのように、ドライな空気を纏って登場する。
 あの時代の少年達が描いた未来に、良くも悪くも我々は辿りつかなかった。有り得なかった未来をレトロフューチャーな妄想と断じて整理を付けるのが「大人」であるとして、その代表がロックミュージシャンの夢を諦めた主人公ケンヂである。対して、少年の日の妄想世界に現実を引きずり込もうとしているのが「ともだち」だ。そのせめぎ合いが物語を作っていく。
 この映画はハリボテの神話である。「悪の組織」が「世界征服」を企んで「巨大ロボット」で破壊の限りを尽くす。テロリズムの政治性や宗教の精神性、事件に説得力を与える社会的背景等を意図的に無視しながら、事態はどんどん前に進んでいく。現実感の無さに、映画が支配されていく。「歴史物語が幾つもの世代を越えていくうちにリアリティを失って神話になる」という過程を、即興ででっち上げたようなハリボテ感が、作品全体を覆う。常に「ともだち」のチープな妄想に映画が寄り添っていて、その絶望感に抗うからこそ、ケンヂ達は主人公たり得るのだ。
 原作は、冒頭からワクワクしながら読んだ。「ともだち」の正体と動機が何なのか知りたくて、ページをめくる手が止まらなかった。映画は、監督が語るように原作原理主義を徹底して作られている。既読だったからなのか、映画は初見のワクワク感が薄れてしまい、ある意味確認作業のように観てしまった。群像劇でもあるので登場人物が多数出てくるのだが、2時間22分ではそれぞれを掘り下げて描くのは難しい。ハリボテ世界の世紀末的風景は退屈しないが、全てを映像でじっくりと語る余裕が無く、少し物足りなく感じた。
 原作が、3部作の映画じゃとてもまとめられない位、壮大過ぎるのかもしれない。

監督●堤幸彦
出演●唐沢寿明、豊川悦司、常盤貴子、香川照之、石塚英彦、宇梶剛士、宮迫博之ほか
上映時間●2時間22分 配給●東宝
【イントロダクション】
1997年、ケンヂはロックスターになる夢を諦め、コンビニ経営をしながら失踪した姉の赤ん坊の面倒をみていた。巷では「ともだち」と呼ばれる教祖と謎の教団が出現し、怪しい事件が起こり始めた。その事件は、小学生のケンヂが仲間と作った秘密の遊び、悪の組織とそれに対抗する正義の味方が登場する「よげんの書」の内容にそっくりだった。

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