2009年7月8日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」第11回崖の上のポニョ

第11回「崖の上のポニョ」

 「2008年夏、日本だけでなく世界の人々が自信を失い、経済政策の行き詰まり、食料や原油価格の高騰、地球の温暖化問題など、解決の糸口さえ見つけられず、不安を抱きながら漫然と生きている現代…」
 上の文章はパンフレットに書かれてた作品説明の出だしだ。上映開始前に度肝を抜かれた。小さい子供向けの「わんぱくゆかいなまんが映画」を想像していたが、この文章は全く違うものを想像させられる。宮崎駿監督は本作の意図をこう語る。「神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである」そのメッセージは、何かとてつもない物を目撃させられる覚悟を、観客に促す。「ぽーにょ、ぽーにょ、ぽにょ」歌ってる場合じゃない。
 上映終了。奇妙な映画だった。キャラも設定も世界観もストーリーも構成も、何もかもが奇妙だ。ポニョが何なのか、フジモトやグランマンマーレが何者なのか、わからない事だらけだし、舞台も日本の何処かという感じがしない。外側に世界地図を全くイメージできないし、主人公宗介が住む崖の上の家の為だけに用意された童話的港町だ。
 物語の冒頭、宗介が少女になったポニョではなく、魚の姿のポニョをいきなり好きになる。有無を言わさず運命的に。「もしかしたら、この魚オスかも」とか微塵も考えさせない。それは奇妙と言うか、作品全体を覆う大きな不安の原因になっている。「宗介の好きはLOVEじゃなくて、LIKEなのではないか?」という問題だ。作中、宗介がポニョに対して頬を赤らめてドギマギするような場面は無いし、重要なキスシーンもポニョの方からしている。演出意図があったとして、そこに示されているのは、宗介は「恋」よりも「責任」によってポニョと結ばれるという、五歳児のボーイミーツガール物としては掟破りとも言える生々しい恋愛観であり結婚観だ。対照的にポニョは、「恋」で無ければ説明が付かない程の圧倒的なエネルギーで、地獄の押しかけ女房ぶりを炸裂させる。
 うねる漆黒の波、落ちる月、世界の終わりを思わせる絶望的風景の視覚的ダイナミズムに彩られ、爆発するポニョの恋。暴風雨を巻き起こし、膨れ上がらせた海の上を疾走する彼女の姿に、「神経症と不安の時代」に立ち向かう力は仮託されている。車を走らせて波から逃げ回る母親の手から、宗介を奪うかの如く迫る、ポニョのプリミティブな勇ましさと横暴さ。衝動に殉ずる迷いの無さ。そして神々しさ。この嵐のシーン以外あまり印象に残らなくなってしまう位、見応えがあった。
 町が水没して以降のシーンは、死後の世界のような不気味な穏やかさと静けさが延々と続く、長い長いエピローグのように思えた。ポニョの瞬間最大風速的な情熱を描いた、前半部分の派手さに対して、責任を持って全てを受け止める宗介の覚悟と、この先淡々と延長されていくはずの二人の日常が、恐らく後半部分の地味さには込められている。
 とにかく度肝を抜かれた。「ぽーにょ、ぽーにょ、ぽにょ」歌ってる場合じゃない。


監督●宮崎 駿
出演●山口智子、長嶋一茂、天海祐希、所ジョージ、奈良柚莉愛、土井洋輝ほか
上映時間●101分 配給●東宝
【イントロダクション】
崖の上の一軒家に住む5歳の少年、宗介は、ある日、クラゲに乗って家出したさかなの子、ポニョに出会う。アタマをジャムの瓶に突っ込んで困っていたポニョを、助けた宗介。そんな宗介のことを好きになったポニョが、人間になりたいと願ったため、海の世界は混乱に陥り、人間の町に大洪水を引き起こすことに…!?

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