2009年6月11日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」第7回フィクサー

第7回「フィクサー」

 この作品は、ある大手製薬会社に対する3千億円にのぼる薬害訴訟事件をめぐって、弁護士マイケル、上司であるマーティ、同事務所のエリート弁護士アーサー、そして、製薬会社の法務担当カレンが如何に判断し行動するかを描いた、一言で言うと「大人達が必死な映画」である。主要キャラに若者はほとんどいない。大人だらけだ。
  「大人だらけ」と言われても、大人と若者を何処で分けてるのかピンと来ないかもしれない。「相応に年を重ねている」「分別がある」「落ち着いた雰囲気を持っている」「複雑に物事を考えている」だから大人かと言えば多分そうではない。僕がこの映画を観て思うに大人とは、ある種の社会的立場であったり、資産や負債であったり、妻や子供であったり、人生を決定付ける大きな物を「既に獲得してしまった人々」の総称なのではないだろうか。逆に言えば「これから獲得しようとしている人々」が若者だ。
 本作に登場する主要キャラの中で、若者は原告である農家の娘アンナだけだ。裁判で賠償金を獲得する事が彼女の人生の目的となっている。アンナ以外の登場人物は、マーティもアーサーもカレンもカレンの上司もマイケルもマイケルの顧客達も皆「既に獲得してしまった人々」だ。彼等の人生の目的は獲得してしまった物を守る事であり、周囲からもそうあるべきと求められている。もし、その行動が善悪という価値基準と衝突した時、正義を選択する事は彼等にとって破滅を意味する。多くの人を巻き込んで全てを失う。獲得してしまった物が大き過ぎる「大人達」は、当たり前であるべき正義を容易には選べないのだ。そんな中、良心の呵責に耐えかねたアーサーは正気を失って正義を選択しようとする。正気を失わないと正義を選べないというのは皮肉な話だが、結果アーサーは消され、それを知ったマイケルは徐々に正義へと目覚めていく。
 この映画は、冒頭で起こった自動車の爆破シーンから突然4日前に遡り「なぜそうなったのか」を延々描いていく、という構造を持っている。起こってしまった事の辻褄を合わせていく演出は、もみ消し屋(フィクサー)であるマイケルの仕事と重なって見える。物語の組み立て方を含め、所々に「手遅れ感」の漂う物悲しい大人の映画だった。

「フィクサー」
監督●トニー・ギルロイ
出演●ジョージ・クルーニー、ティルダ・スウィントン、トム・ウィルキンソンほか
上映時間●120分 配給●ムービーアイ
【イントロダクション】
巨額の薬害訴訟において、被告である巨大製薬会社有利に解決されようとしていた最中、製薬会社の弁護を担当する同僚がすべてを覆す秘密を握ってしまう。暴露を恐れた事務所は“フィクサー”であるマイケル・クレイトンにもみ消しを依頼する。活動を開始したマイケルに知らされた同僚の不審死。その真相を追究する内、彼は隠蔽工作に留まらぬ予想をはるかに超えた陰謀の存在に気づく。

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