2009年5月13日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」第3回 エリザベス:ゴールデン・エイジ

第3回「エリザベス:ゴールデン・エイジ」 

 「この映画で私が努力したことは、ある種の空虚を抱えた女を作り上げること。友達も無く、夫も無く、子供も無い。だから、そのむなしさを埋め合わせてくれる何かを探し求めるの」
 主演のケイト・ブランシェットが語るように、この作品は虚無に満ちている。上映中、僕が常に感じていたのは、ここ最近の特に邦画でよく見られる安易なお涙頂戴ものとは一線を画すような虚無感、大胆な言い方をすれば「感動の与えなさ」だ。「自分への暗殺を企てた従姉妹の処刑を止められなかった悲劇」「信頼していた侍女に男を寝取られる悲劇」「戦争という悲劇」等、物語が展開していく中でドラマチックな事件が次々とエリザベスの身に降りかかって来るのだが、それらは皆淡々と脚本を消化していくようにスクリーンを上滑りしていく。
 感動を生む事は簡単にできる。例えば、過去に従姉妹とどういう関係であったのか、かつて懇意であったならそのエピソードを挟めば処刑シーンで泣けるだろうし、エリザベスとローリーの間に激しい熱愛関係があれば裏切りに対してもっと衝撃を受けただろうし、戦争で大切な人を失ったのなら心に深く感じることもあっただろう。
 しかし、従姉妹とはドライな関係であったことしか描かれていないし、ローリーとは熱愛と呼べる程の関係を持っていないし、戦争は拍子抜けな位あっさりと終わる。「史実がそうであったから」という理由ではなく(そもそもこの映画は史実をあまり重視していない)、そこに明らかな演出的意図を感じた。
 もし、それら全てに怒涛の感動を演出していたら、この作品は恐らく下品で安っぽい昼ドラとしか見られなかっただろう。ケイトの言う「空虚を抱えた女」も描けなかったかもしれない。エリザベスには友達も、夫も、子供もいない。数々の悲劇を希薄にさせる他者との関係性こそが、最大の悲劇なのだ。
 激しい感動とは一つの身体性であり、処女女王(ヴァージン・クイーン)の称号はその欠落感を象徴している。豪奢な衣装に身を包んで時代を突き進んでいく彼女はとても美しく、とても空虚に見えた。

「エリザベス:ゴールデン・エイジ」
監督●シェカール・カプール
出演●ケイト・ブランシェット、ジェフリー・ラッシュ、クライヴ・オーウェン、アビー・コーニッシュほか
上映時間●1時間54分 配給●東宝東和
【イントロダクション】
数奇な運命を背負いながらも25歳でイングランド女王に即位。国家と添い遂げ、あらゆる陰謀や策略に抵抗するために、全世界、そして神の御前で女の幸せを捨て〈ヴァージン・クイーン〉になったエリザベス。アメリカ大陸から帰還した航海士ローリーとの出会いと恋、葛藤の最中、女王暗殺事件をきっかけにスペイン無敵艦隊との国の存亡を賭けた戦いがはじまる…。

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