2021年2月1日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」
第3回 耳をすませば

第3回「耳をすませば」

高三の夏休み、喫茶店でバイトをしていた。デザート&ドリンク専用の小さな厨房で、皿を洗ったりアイスピックで氷を砕いたりと、マスターの手伝いが主な仕事内容だった。バイト初日、休憩中特にすることがなくテーブルにあった新聞を読んでいると、同じく休憩中だったウェイトレスがセブンスターに火をつけながら話しかけてくれた。「タバコ吸わないの?」異性に免疫のない真面目な工業高校生の僕に、いきなり「タバコ吸わないの?」である。おそらく彼女も未成年だ。動揺を隠しつつ答える。「あっ、いえ」「何読んでるの?」「日本経済新聞です」「へーすごいね」会話は終わったが、僕は知的で寡黙な印象を与えることに成功したと思った。しかし帰り道には「日経新聞と略さなかったの、めちゃくちゃダサいのでは」と自転車を漕ぎながら後悔していた。どっちだろうが総じてダサい。初日以降、バイトを辞めるまで彼女から話しかけられることは一度もなかったし、僕から話しかけることもなかった。喫茶店の営業中、フロアにはウェイトレスの女性が常時二人いる。マスターと彼女たちが仲良く雑談している後ろで、僕は黙々と食器を洗っていた。店は市街地の地下あり、外に出ると真夏の青空と、ビルの上に当時公開中だった『耳をすませば』の看板広告が見える。キャッチコピーは「好きなひとが、できました。」中三の男女がピュアな恋愛をする、今で言うリア充映画だ。主人公たちは、よりによって三つも年下である。自分とのギャップを見せつけられツラい気持ちになりつつも、その看板から目が離せなかった。現実から目を背けてはいけないという謎の強迫観念があったのだ。アニメ映画『耳をすませば』のどこが現実なのかはよくわからない。とにかく僕の高三の夏休みの思い出は、地上へ上がった時のまばゆい青空と、更にまばゆい看板広告に集約されている。
『耳をすませば』は何度かテレビ放映された。大人になってから観ても、やはり心をざわつかせる内容だったし、そのざわつきこそが作品の魅力だった。手に入れられなかった青春の象徴だ。その後DVDを購入し、何十回と繰り返し観ている。反復しすぎた結果、心のバリが取れたというか、良くも悪くもざわつきはなくなっている。今では主人公である月島雫に全身全霊で感情移入して観ることができる。僕は女子中学生として、男子中学生である天沢聖司に恋をするのだ。そして天沢が雫にプロポーズするラストで、私(月島雫)は思う。今がこの恋のピークなのだと。彼がイタリアで修行しているあいだに、少しづつ気持ちは落ち着いてしまうだろう。この瞬間を超えるときめきは訪れない。初恋とはそういうものだ。遠距離で今の関係を維持し続けるには、お互いの粘り強い努力がいる。そんな自信、私(月島雫)にはない。……切ない映画である。ある意味僕は、女子中学生として恋も葛藤も経験してしまった。飽きるほどに。でもそれは本物ではない。だからまた再生ボタンを押すのだろう。何が言いたいのかというと、僕の暗い青春時代の話はもはやどうでもいいということだ。

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