2018年5月1日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」第123回 シェイプ・オブ・ウォーター

第123回「シェイプ・オブ・ウォーター」

舞台は冷戦下のアメリカ。極秘研究所に運び込まれた半魚人と、彼の虜になったアラフォー掃除婦イライザの、異種間恋愛ストーリー。イライザは子供の頃のトラウマで口を利くことができず、半魚人もまた喋らない。二人の間に言葉は要らない的な美しさと、同時にグロテスクさもあわせ持つ、衝撃的な作品だった。

鑑賞中考えていたのは、今年観たもうひとつの異種間恋愛映画『美女と野獣』についてだ。野獣が最後人間に戻り「おいおい、野獣だから素敵だったのに、急に出てきたこのイケメン誰だよ!」と、不満に感じたのだけど、本作はそこに真っ向から対立している。野獣は見た目は獣だけど、どちらかと言えばモフモフで安心感があり、身なりもよく、物腰もスマートで、表情も優しく豊か。知的な会話ができ、繊細な内面を持ち、そもそも元々人間だ。対して半魚人は全身が鱗に覆われていて顔もキモい。知能は原始人並で、匿った家の飼い猫をいきなり食い殺したりと、安心感もない。じゃあどこに魅力があるのか。内面の純粋さはともかく、それとは別に異様にスタイルが良いのだ。スラっとした細マッチョな身体がやたらとセクシーで、イライザはそこに欲情する。「美しい愛の物語を下劣な目線で見るな!」と、気分を害する人もいるかもしれないが、だからこそこの作品は素晴らしいと思った。女性でも障害者でもクリーチャーでも、健全な性欲を持ち、恋愛と性は決して切り離せない。彼ら彼女らは理想化された天使ではないのだ。それを宣言するように、この映画はイライザの自慰シーンから始まる。セックスシーンも明確に描くし、“彼”は野獣のようにイケメンの人間になったりしない。イライザはクリーチャーをクリーチャーのまま、心も体も受け入れる。もちろん性描写だけでなく、『美女と野獣』のような素敵なダンスシーンもある。両方必要なのだ。僕はそこにデル・トロ監督の誠実さを感じた。
語るとキリがないが、クリーチャーやマイノリティに対する愛に満ちた、素晴らしい作品だと思う。

●監督・脚本・製作・原案:ギレルモ・デル・トロ
●出演:サリー・ホーキンス、オクタヴィア・スペンサー、マイケル・シャノン、リチャード・ジェンキンス 他
●上映時間:124分 ●配給:20世紀フォックス映画

【イントロダクション】
1962年、アメリカ。清掃員として政府の極秘研究所に勤めるイライザは、密かに運び込まれた不思議な生き物を見てしまう。アマゾンの奥地で神のように崇められていたという“彼”の奇妙だがどこか魅惑的な姿に心を奪われたイライザは、周囲の目を盗んで会いに行くようになる。子供の頃のトラウマで声が出せないイライザだったが、“彼”との交流に言葉は必要なかった。音楽とダンスに手話、そして熱い眼差しで二人の心が通い始めた時、イライザは“彼”がまもなく実験の犠牲になると知る―――。

PAGE TOP