2010年5月1日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」第28回 フローズン・リバー

第28回「フローズン・リバー」

家族と生きていくため犯罪に手を染める、貧困層の母親二人を描いた、壮絶なドラマ。真面目で堅苦しい映画なんだろうな、と思って観始めたのだが、エンタメとしてもよく出来た素晴らしい作品だった。

本作を細かく分析してみると、この映画を成立させているドラマ的要素は大体三つに分かれる。警察に見つからないように、凍った川を車で渡って不法移民を密入国させるサスペンス要素。荒涼とした田舎町の風景をバックに、そこで生きる貧困白人や先住民の過酷な生活を描く社会派要素。そして、二人の母親の関係性を描く人間ドラマ要素だ。それらが見事に調和して、重厚でエキサイティングな感動作品に仕上がっている。
特に力を入れて描いてるのが、三つ目の「二人の母親の関係性」についてだ。主人公である白人女性レイとモホーク族の女ライラは金の為、つまりそれぞれ自分の家族の為に、共犯関係を結ぶ。人種も生活環境も異なる二人は、当然信頼し合う事は出来ない。しかし、赤子を巡るある事件がきっかけで、共に「母親である事」を認識し合い、次第に距離が縮まっていく。そして最終的には、文化や人種の壁を乗り越えた感動の結末へと、物語は収束する。
本作でもっとも重要なキーワードは「母性」だ。どんな時代どんな国でも、子を思う母親の気持ちは絶対だ、という母性への圧倒的な信頼によって、この作品は支えられている。
逆に言うと、この映画には「父性」が決定的に欠落している。父親は最後まで登場しないし、父親代わりの頼もしい男性キャラも出てこない。主人公の15歳になる長男は、弟の面倒見は良いが、やはり男としてではなく、頼りない子供として描かれている。せっかくの男手なんだから、もう少し長男に頼っても良いのではないだろうか、と思ってしまった。穿った見方をすると、まるで長男が「男」になる事を、母親が拒絶してるようにも見える。男への不信が作品全体に漂っているので、それも意図的な演出なのかもしれない。
ライラの登場時「男か女か分からない、おすぎみたいな奴が出てきた…」と思ったのだが、ラストには良い母親の顔になっていて、それが一番印象に残った。

監督・脚本●コートニー・ハント 出演●メリッサ・レオ、ミスティ・アップハム、チャーリー・マクダーモットほか
上映時間●97分 配給●アステア

【イントロダクション】
ニューヨーク州最北部、セントローレンス川を挟んでカナダとの国境に面する北米先住民の保留地と隣接する小さな町。2児の母親レイは、先住民の女ライラと知り合い「ギリギリ」の生活から抜け出すために凍てつく川を渡り、国境を越えて不法移民を密入国させるという危険な仕事に手を染めていく。当初いがみ合っていた二人の間にも、母親同士という共通の立場をきっかけに信頼関係が生まれる。だが、そんな二人を待ち受けていたのはあまりにも過酷な現実だった。

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