2009年11月4日 [施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」第22回 HACHI 約束の犬

ラッセ・ハルストレム監督と言えば、「ギルバート・グレイプ」や「サイダーハウス・ルール」など、人間ドラマを丁寧に描いた「他人に薦めやすい良作」を撮るイメージがあるのだが、本作は手放しで他人に薦めて良い物か若干悩まされる。確かに感動めいたものは込み上げて来たのだが、流されるままその感情に従ってしまう事に、何やら得体の知れない罪悪感を覚えてしまった。

 なぜだろうかと考えてみたのだが、恐らく残された家族のハチに対するスタンスに、その原因はある。ハチとハチの飼い主であるパーカーとの、一対一の関係性だけを思えば愛を感じるが、「残された家族とハチ」という視点で見ると、途端に愛は薄れてしまう。そこを見て見ぬ振りをしながら物語が進んでいく事に、罪悪感を抱かずにはいられないのだ。
 具体的な話をすると、まずこの物語における最大の悲劇は「主人の死」ではなく「主人の死を認識できない犬」にある。作品内における演出では、ハチの考えてる事はよくわからないように撮っているが、たとえハチがどんな心境で亡きパーカーを待っていたとしても、家族(娘夫婦)はハチが彼の死を受け入れるよう繰り返し努力すべきだし、遺体に一目も対面させなかった事を後悔すべきではないだろうか。そういった苦労や苦悩、断念に至る過程はほとんど描かれない。「そんなに行きたいのなら行きなさい」とあっさりハチを放り出してしまう。ハチを愛した亡父に対しても、責任を果たせていない。そんな扱いを黙認した上で、一方的にハチの立ち位置を「待つという使命を死んでも果たします。忠義でござる」的に解釈するのは、あまりにも人間にとって都合が良過ぎる。
 作品世界の登場人物は漏れなく悪意が無い。善人の世界が柔らかな映像で美しく描かれている。対して、世界を黙って見つめるハチの眼差しは驚くほどドライだ。何の主張も押し付けない、モノクロのドキュメント映像のように撮られている。信じたい美談を信じる我々のエゴは、見透かされているのだ。
 我々は、ラストシーンを見ながら「天国で出会うパーカーとハチ」ではなく、「主人の死を乗り越え、残された家族と愛のある新しい関係を築いていくハチ」という、ありえたかもしれないもう一つの結末を想像して、涙すべきなのかもしれない。

監督●ラッセ・ハルストレム 脚本●スティーヴン・P・リンゼイ
出演●リチャード・ギア、ジョーン・アレン、サラ・ローマー、ケイリー=ヒロユキ・タガワ、ジェイソン・アレクサンダー
上映時間●93分 配給●松竹

【イントロダクション】
アメリカ東海岸郊外、ベッドリッジ駅に降り立ったパーカーは、迷い犬になった秋田犬
の子犬と出会う。遠い日本から送られたらしい子犬の受取人は現れず、パーカーに飼われることになった“ハチ”。いつしか誰に教わることなく毎朝駅までパーカーを見送り、夕方5時には迎えに行くようになった。ところがある日突然、パーカーが倒れ、帰らぬ人となる。数日後、夕方5時、駅には主人の帰りを待つハチの姿があった…。

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