2010年3月1日 [まんがくらぶ, 施川ユウキ映画コラム]

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」第26回 カールじいさんの空飛ぶ家

第26回「カールじいさんの空飛ぶ家」

妻を亡くした頑固爺さんが、アジア系の少年と友情を育みながら、少しずつ変わっていく。このプロット、最近どっかで見たと思ったらクリント・イーストウッドの「グラントリノ」だ。家に執着しているのも似ている。鑑賞中「グラントリノ」を思い出しながら、主人公である老人の描き方について考えてみた。

カールじいさんは見た目は爺さんだけど、ハッキリ言って中身は未成熟な少年のように描かれている。彼の未熟さは、「男は幾つになっても子供だ」的な話では無い。大人としての強さ、年相応の老練さや貫禄が、根本的に欠落している。戦争を経験し、自動車工として米経済の一端を支えてきた「グラントリノ」のコワルスキーとは決定的に違う所だ。コワルスキーは自分の持つ技術や、堅持してきたスピリッツを若者に継承するという、老人としての正しい役割を果たすが、カールにはそれが無い。今までの人生の中で培ってきた経験則に従って、危機を潜り抜けるようなエピソードも無いし、それによって少年(ラッセル)から尊敬を勝ち取るという展開も無い。
それは、カールが成すべき事を成し遂げられずに老人になってしまったからで、家を飛ばして南米に向かう冒険の動機にもなっている。残酷だが、リアルだとも思った。誰しも年を重ねれば大人になっていくものだ、という甘えた人生観を叩きのめす、容赦の無いキャラクター設定だ。カールの頼りなさは、大人が見れば身につまされるし、子供が見れば感情移入しやすい。カールの物語は老人の物語では無く、一人の未熟な人間の物語だ。
少年の成長物語は、大抵「父殺し」という通過儀礼がある。「父殺し」は、偉大な父親的存在を乗り越える事の暗喩で、必ずしも実際に殺す訳ではないが、未熟な少年に等しい78歳のカールにも、それが試練として用意されている。そして父殺しの後には母からの自立だ。カールとっての母親的存在は、亡き妻エリーであり、彼女と同一視されている居心地の良い家だ。全てを受容してくれる家を犠牲にして初めて、彼は大人へと成長する。
この映画は、老人が頑張るから心を打つのではなく、未熟な人間が自分の弱さを克服し、成長しようとするから、心を打つのだ。

監督・脚本●ピート・ドクター
声の出演●エド・アズナー、ジョーダン・ナガイ、ボブ・ピーターソン、ジョン・ラッツェンバーガー
上映時間●1時間43分 配給●ウォルト ディズニー スタジオ モーション ピクチャーズ ジャパン

【イントロダクション】
78歳のカールじいさんは、亡き妻エリーとの思い出が詰まった小さな家で、ひとりっきりで暮らしていた。大切な家も生活も、全てを失いそうになった時、彼は人生最初で最後の旅を決意する。エリーとの約束を今こそ果たすため、家に無数の風船をつけ、思い出と一緒に家ごと大空へ飛び立った。その旅は、思いもよらぬ冒険へ、そして予想もしなかった運命へとカールじいさんを導いてゆく。

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